2011年4月17日

地盤調査

自分の家が建っている地面の下がどんな状態なのか、
考えてみたことがあるだろうか。
本日の「京都の住まい講座-①家づくり入門」でもお話しさせてもらったのだが、
家づくりは、まず土地の状態を知ることから始まる。
いくら建物が丈夫でも、地面がやわらかい状態だと、
当然、時間とともに地面が沈んでしまう。(地盤沈下)
敷地によっては、ある箇所は固いが、ある箇所はやわらかいことがあり、
建物が傾いたり基礎が折れてしまうこともある。(不同沈下)
よって、建物を建てる前には、必ず地盤の調査をしなければならない。
通常、地盤に金属棒を差し込み、地中の固さを確認する。

そして必要に応じて、
地盤表層改良(表面を固める)や、
柱状改良(基礎の下に強固な支えをつくる)を行って、必ず地盤を整える。
先日もお施主様の土地の地盤調査を行った。
丈夫な地盤があってこそ頑丈な基礎が成り立ち、
その基礎が、建物の構造体(土台、柱など)を支える。
いよいよ、お施主様が待ちに待った工事が始まる。
地盤、基礎工事は、地味にみえるかもしれないが、
最も大切にしたい工事である。

2011年4月10日

建築教育の広がり


このところ防災意識の高まりやコミュニティーへの関心の高まりが
「建築教育」の広がりを後押ししているという。
昨日の日経新聞朝刊に、子供を対象とした建築教育の試みのいくつかが紹介されていた。
来月から東京で「子ども建築塾」が開講するという。
その主催者で建築家の伊東豊雄氏の思いが紹介されていた。
最近の建築を学ぶ学生には、住まいを提案することについて、
「誰のため、何のためにつくるのか」という発想が抜け落ちているという。
規格通りの住宅やマンションしか知らない現代の子供たち。
建築はどんな要素で成り立つのか、
家々が集まることの大切さとは何か、
考え続けてもらうことに意義がある、と伊東氏は述べている。
地域再興を痛切に願う人が多い中、
建築の思考や手法は今後ますます重要になるだろう。
さて、弊社でも
住教育の一環として取り組んでいる
「京都の住まい講座」の4回連続講座が今度の日曜日からスタートする。
少しでも多くの人に「住まいづくり」について
真剣に考えてもらいたいと思っている。
ご都合つかれる方は是非ご参加いただきたい。

2011年3月31日

リビング新時代


一般的に、家の中で家族が長い時間過ごす空間がリビングだ。
かつては単に「ソファを置きテレビを見る場所」としてのイメージが強かったが、
最近はリビングの在り方も住まう人の暮らし方によって個性的になっている。
家族が集うリビングの在り方は、子供の成長を育むだけでなく、
家族みんなの幸せな暮らしにも直結するだろう。
現在、書店で販売されているリクルート発行の雑誌
『京都滋賀の注文住宅 by suumo』 2011年春夏号の特集は「リビング」だ。
石田工務店の住宅も誌面で紹介されているので
手に取られた方はぜひ見ていただきたい。
(「マザーハウス石田工務店」の名前で掲載)
マザーハウス石田工務店のモデルハウス「京都上賀茂の家」

マザーハウス石田工務店の注文住宅(京都・西賀茂のお施主様宅)

これからも住宅を通して、家族の幸せづくりに役立たせていただきたいという強い思いだ。

2011年3月21日

被災建築物の応急危険度判定

現在、東日本の被災地では、仮設住宅の建設など被災者の居住面についての支援も進められている。
だが、被災した我が家の様子を見に行く人々の姿も後を絶たない。
変わりはててしまった我が家を目の前に呆然と立ち尽くす姿を何度かテレビの画面で目にし、
いたたまれない気持ちになった。
十数年前に起こった阪神淡路大震災の時にも同じような光景があった。
この時は高層ビルや住宅が密集していた地域でもあり、地震直後、
被災した建築物の倒壊の危険性や外壁の落下など余震による二次災害の不安も強かった。
一般の住宅でも、外見上問題ないように見えても外壁のひびやゆがみなど、
構造上の問題を速やかに専門家に調査してもらう体制が求められた。
だが、広域の大規模災害の場合には、行政職員だけでの迅速な対応は難しい実情がある。
そこで震災後、全国の建築士等がボランティアでその判定作業に協力できるよう、
「応急危険度判定士」の講習と登録が行われるようになった。
もちろん私もこの制度ができてすぐに受講、いつでも協力できるよう登録した。

今回の被災地でも周辺の建築士が要請を受け、応急危険度判定活動にあたっている。
(その判定結果は速報として随時ネットで報告されている)
調査した建築物には
以下の判定ステッカーが貼られることになっている。
調査済

要注意

危険

目をそむけることなく、向き合っていくしかない。
いざというときに自分が何の役に立てられるか、それぞれができることをやっていくしかない。

2011年3月14日

東北関東大震災

あまりにも大きな地震により 被害を受けられた方の苦しみ、ただならぬものと察し申し上げます。
津波による惨状を見るにつけ、大自然に対する人間の無力さを感じ、心が痛みます。
この地震により お亡くなりになられました皆様方に対し、心からお悔やみ申し上げます。

2011年3月8日

建築家の仕事


日本経済新聞に「私の履歴書」という、
各界の著名人がリレー式でそれぞれの「自分史」を紹介する
連載欄がある。一人の「自分史」が1ヶ月ほど連載されるから
毎回、生い立ちからのかなり詳しい内容になる。
一流の人が、どのようにして一流になっていったのか、
その過去はたいてい意外性に富んでいて
いつもとても興味深く読ませてもらっている。
その「私の履歴書」で、
3月から建築家の安藤忠雄氏の連載がスタートしている。
連載第一回目の冒頭で、「建築家の仕事」のことを、
「常に『現実』と渡り合う、一に調整、二にも三にも調整という、
地味で過酷な仕事」と述べておられた。
確かにそうだと思う。
たいていの人は「建築家の仕事」として完成した建物しか見ていない。
だが、そこに行き着くまでには数々の「調整」が必要となる。
最初にぶつかるのが予算。そして工事費をめぐって業者とのぎりぎりの折衝。
お施主様の夢と現実の折り合いを最善の状態で完成させなければならない。
だが、安藤氏はこうも述べている。
「それでも、人の命を安全に守り、安心して過ごせるようにするのが
この仕事の意義であり、そこに自分の誇りがある。」と。
私も全く同感だ。
デザインだけが評価されるのではない。安心、安全を提供する責任があるのである。
また、周辺の環境に与える影響も大きい。
私も建築の仕事には誇りをもっている。
ところで、連載5日目に、安藤氏自身が元プロボクサーだった時のことを
紹介しておられた。

最近封切りの話題の映画「あしたのジョー」も早速、見に行かれたようだ。
この欄を読んでいつも思うのだが、
一流の人は、やはりその歩んでこられた人生も波乱万丈でおもしろい。

2011年3月7日

イーグルス


日曜日、イーグルスのコンサートに行ってきた。
イーグルスは70年代ウェストコーストサウンドの代表的バンドである。
「ホテルカリフォルニア」「デスぺラード(ならず者)」など
世界中のファンを魅了したグループだ。
当時、私は高校生だったが、発売されたアルバムのLPレコードはすべて買い、
何度も聴いた。
↓今でも大事に持っているLPレコード

(これがあるから今でもレコードプレーヤーは捨てられない)
そのイーグルス、結成40周年になる今回の来日公演(3/1〜3/6)。
大阪、名古屋、東京のツアーだったが、東京以外は平日。
横浜にいる高校時代の親友が、早々に日曜日(東京ドーム)のチケットを
おさえ、誘ってくれたので、ツアー最終日に行くことができた。

やはり会場内はほとんどが、同世代だったように思う。
イーグルス全盛の頃、高校、大学生だった人たちだろう。
再び聴く懐かしの曲に、それぞれの青春時代を重ね合わせて聴いていたと思う。
12弦ギターのイントロで始まる、あまりに有名な「ホテルカリフォルニア」。

誰もが一番に聴きたがっていただろうこの曲は
プログラム4曲目に登場した。
何度聴いても泣かせる曲だ。
コンサート最後の曲は、
「ホテルカリフォルニア」と双璧をなす、「デスぺラード(ならず者)」だった。

このしっとりとしたバラードで余韻たっぷりに幕を閉じたコンサート。
合計2時間50分。
今回、メンバーの平均年齢は63歳だそうだ。
全く衰えを感じさせないどころか、
円熟味を増し、プロとしての力量を十二分に感じさせるもので、
本当に素晴らしいコンサートだった。
横浜のY君、ありがとう。

2011年3月3日

木から「気」をもらう


京都市内からは比叡山がよく見える。山の向こうは滋賀県、琵琶湖だ。
比叡山山頂へは京都側から登る叡山ケーブルと、
滋賀県側から登る坂本ケーブルがある。
その坂本ケーブルの山頂の終点「延暦寺駅」のすぐ横に
小さな鳥居がある。延暦寺とは反対方向、無動寺への入口だ。
ケーブルを降りた人はほとんどが延暦寺へ向かうので
この鳥居をくぐる人は普段あまりいない。
だが、この鳥居を入った参道が何とも素晴しいのだ。
500年以上は生きているだろう杉の巨木が何本もそびえ立っている。
何ともいえない神聖な場所だと思う。
そして本当にその巨木から何か「気」がでている気がしてくる。
またそのパワーを吸い込めるような気がしてくるから不思議だ。
空気も優しい。まさにマイナスイオンか。
しばらく歩くと気分も穏やかになってくるのが分かる。
この仕事をしていながら、やはり木の家はいいとつくづく思う。
ところで、花粉症の方には御容赦いただきたい話だが、
杉が花粉を飛ばす瞬間をご覧になったことはあるだろうか。
実は以前、この比叡山で、その衝撃の瞬間を目撃したことがある。
それまで、花粉は「風で自然に」飛散するものと思っていたのだが、否。
その日に風はなかった。
杉が明らかに意識をもって飛ばしていたのである。
けむりのようにフワッと一斉に放出しており、
最初は本当に「煙」かと思い、本気で山火事を心配したほどである。
子孫を残すための強い意志か。
やはり木は生きているんだと実感した瞬間でもあった。
さて、花粉が気になる季節。
くれぐれも花粉症の皆様、お気をつけいただきたい。

2011年2月23日

ミツバチがつくった・・・


これはミツバチが巣をつくる時に分泌する「密ろう」といわれるもの。
ミツバチはこれを土台として丈夫な巣をつくっていくので、いわゆる巣のベースとなる材料だ。
「はちみつ」を採取したあと、空の巣を煮溶かすとロウ状のこの「密ろう」が採取できるそうだ。
天然ワックスとして需要があり、市販もされている。
少し前、大阪の高松銘木店さんに、なんと自家製!の「密ろう」をおすそわけしてもらった。
(写真↑ 紹介する前にかなり使いこんでいるが・・・)
高松銘木店さんではなんと会社の屋上で実際にミツバチを飼って、
この「密ろう」を手作りされている。すごい・・・。
「密ろう」は天然のワックスなので無垢の木材に塗るとよくなじみ、深みのあるツヤがでる。
さすが自然素材にこだわりをもつ銘木店だ。
いただいた「密ろう」、自宅の無垢のフローリングに塗ってみた。確かに柔らかい光沢がでる。
一般のワックスのテカテカした気になるテカリは全くない。

・・・しかし!
今回、この「密ろう」のもう一つの驚くべき威力を発見したのである。
それは、「潤滑油」としての威力だ。
昔、開け閉めがしにくい引き戸の敷居にロウソクをぬって滑りやすくする知恵があったが、
この「密ろう」の威力はすごい。
つい先日、近所の高齢の方に「古い引き戸の開け閉めに力がいる」と相談され、
試しに、とこの「密ろう」を塗ると、驚くほどスムーズに改善!
試した本人が一番びっくりしたのである。

ミツバチってすごいですね。

2011年2月18日

至近距離の「国宝」


↑ 会社から北に100m、歩いて2分のところにある
  大徳寺「龍光院」の茶室『密庵(みったん)』(国宝・非公開)
現在、「国宝」に指定されている茶室が全国にいくつあるかご存知だろうか。
わずか三つ。
それぞれ「待庵」、「如庵」、「密庵」といわれる名席。
そのうちの一つ「密庵」が、実は会社からわずか100mの距離にある。
残念ながら非公開・・・。
そのためか、あまり知られていないようだ。
残りの二つはご存知の方も多いだろう。
「待庵」は、千利休関係の解説本だったら必ずといっていいほど
登場する茶室。

広さたった二畳のスペースで、千利休のストイックさが凝縮された国宝の茶室。
京都大山崎に当時のまま残っている。(予約制で見学可能)
(写真は書籍『PenBooks茶の湯デザイン』より抜粋)
「如庵」は、織田信長の弟で大名茶人の織田有楽が建てたもの。
現在、京都市の建仁寺境内に忠実に復元され見学しやすくなっている。
「待庵」とは少し異なり、遊び心が感じられる茶室だ。

↑窓に竹を詰め打ちした「有楽窓」が有名
(写真は書籍『PenBooks茶の湯デザイン』より抜粋)
実は先日、この建仁寺に行ってきた。
数寄屋建築の第一人者中村昌生氏の監修で復元された
この「如庵」も見学することができた。
茶室にも当時の茶人の好みがでるが、
形式より創造性を楽しんでいる空間のような気がした。
「茶」の文化はまさに日本が誇る「総合芸術」。
仕事柄、建築の立場から見ると、
当時の茶人の「空間をプロデュースする」情熱のようなものには感服する。
温故知新。
古きに見る知恵を、現代にも生かせることは多いだろう。
伝統に磨き上げられたデザインを鑑賞するのも学びになりまた楽しくもある。

Webからお問い合わせ 0120-296-481