私は音楽好きである。
日本もの、洋楽、クラシック、ジャズ・・・
何の脈絡もなくごちゃまぜに聴いている。
ただ、なぜか日本ものの中では
北海道出身のアーティストの曲を
多く聴いてきた気がする。
松山千春、中島みゆきは今でもよく自宅でかけている。
なぜなんだろう。
私はあの大きな大地を憧れているのか。
北海道の人に素直さを感じるのだろうか。
その曲の裏に少しのもの悲しさも感じてしまう。
昔に思いを寄せていると
千春とみゆきがお互いに思いを寄せていたことも
思い出す。(※私見です)
ご存知の方も多いと思うが
今年8月20日、松山千春のしたある出来事が
ニュースになった。
ご存知ない方も当然いると思うので
私が知っている情報をここに書いておく。
『8月20日、新千歳空港は保安検査場が大混雑。
保安検査が終わらずに搭乗できない乗客が多くなり
出発時間が遅れる事態が発生してしまいました。
11時55分発伊丹行き全日空機も定刻を過ぎても動かないまま。
先に搭乗を済ませた乗客はイライラがつのります。
1時間程経過した機内で、突然のアナウンス。
「千歳発伊丹行きにご搭乗の皆さん、松山千春です。
もうシートベルトをされてから1時間以上も経つ。
いらだつでしょう。むかつくでしょう。しかし
安全に飛んでくれることを自分たちは信じていますし、
皆苦労していますから待ちましょう。“旅は道連れ”ですから、
一緒に旅行を終えましょう」と言って自分の持ち歌である
<大空と大地の中で>を、♪果てしない大地~♪と歌いはじめました。
「皆さんのご旅行が、これからの人生が、
素晴らしいことをお祈りします。もう少しお待ちください。
ありがとうございました。」と締めくくりました。
この便に乗り合わせた松山千春さんの機転で、
機内はなごみ、拍手喝采が巻き起こったそうです。』
![](https://isida.jp/contents/wp-content/uploads/2017/09/s500-IMG_2635.jpg)
彼は1955年12月16日、北海道足寄町で生まれる。
フォークソングとの出会いは、小学校5年生。
岡林信康が足寄で弾き語りコンサートを開き、
聴きに行ったことが始まりだったという。
足寄高校時代は、成績優秀、バスケットボール部で活躍したが
進学は断念。父親の仕事を手伝いながら、
フォーク音楽祭に応募する。
そしてすぐに有名になる。
![](https://isida.jp/contents/wp-content/uploads/2017/09/s500-IMG_2630.jpg)
当時、テレビ出演を拒否していたが、
「あなたにはたくさん届いた番組出演のリクエスト葉書に
何か答えなければならないはず」との言葉に感銘を受け、
ザ・ベストテンに出演。
当時はこのことが大変話題になった。
ほどなくして、
右寄りで少しこわもてな感じを
私は持つようになった。
髪を剃ったことも影響していたのかもしれない。
実はもう一つ、最近になって
彼について知ったことがある。
北海道出身、鈴木宗男議員との関係だ。
足寄町出身の鈴木宗男氏とは足寄高校の先輩後輩の仲。
鈴木氏が初当選する1983年総選挙から
選挙応援をしているという。
鈴木氏が代表を務める「新党大地」の名付け親でもあるという。
2011年、鈴木氏が在職25年以上の永年在職表彰で
製作された鈴木氏の肖像画の中に
異例となる「新党大地 命名松山千春」と記され
国会内に掲示されたそうである。
このことを知ると、
郷土を愛する一途さに心が動く。
20年ほど前、
彼の歌声を聴きに
大阪のコンサート会場に行った。
張り詰めた空気の中で彼は歌う。
感激した。
![](https://isida.jp/contents/wp-content/uploads/2017/09/s500-IMG_2631.jpg)
今年8月20日のエピソードを聞いて、
また生で曲を聴きたいなぁと思う。
たくさんあるが
「銀の雨」「雪化粧」は聴いてみたい。
彼の歌はすごく力強くて、そして優しい。
(写真はすべて「松山千春アルバム(レコード)/君のために作った歌」より