2012年10月28日

あなたの夢は何ですか?


先日、所属する経営研究会の勉強会で
京都で活躍している詩人、きむ(木村行伸)氏の講演を聴かせていただいた。
芸大卒のきむ氏は、
「ロフト」や「イノブン」といった関西の人気雑貨店に置いてある
ポストカードでもお馴染みの作家だ。
彼が編集した書籍『1歳から100歳の夢』の最初のページにはこの文字。

この問いに対する、1歳から100歳までの100人の夢が、
この本1冊に詰まっている。
同じ時代に生きる様々な世代の人たちが語る夢を
年齢順に追って見ていくと、
それぞれのライフステージでの思いの変化が見てとれる。
ページをめくるごとに、リアルな夢も変化していく。



きむ氏が言うには、
人は「夢」を尋ねられた時、
35歳くらいまでは「夢」をテーマに語るが、
35歳〜70歳では「幸せ」をテーマに語り、
70歳を超えると「感謝」がテーマになるのだという。
また、いくつになっても夢や目標を持つことが大事で
そうすることで人はイキイキと元気になるのだという言葉をいただいた。
さて、この本の最後のページは
100歳の方の夢だ。

この方がおっしゃるに、
これまで100年生きてきて、
人生にも「春夏秋冬」の四季があることが分かったのだという。
私も「人生の四季」を味わい楽しめるほどの豊かな人間になりたいものだ。
講演後、きむ氏にこんな言葉をいただいた。

皆が夢を持っていると、世界の平和にもつながるのだという。
その言葉の力を信じたい。

2012年10月18日

日本の原風景


先日、岐阜県北西部、合掌造りの集落「白川郷」にも足をのばしてきた。
厳しい地形と気候風土の中で培われた生活様式。
日本における大型木造住宅の集落の典型を示す「白川郷」は
世界文化遺産にも登録されている。

茅葺の屋根が急勾配の山形をした合掌造り。

金属の釘やかすがいは使われていない。
「ねそ」がしめた屋根の骨格は風雪に強く、
年月とともに強度を増すという。
また、この規模の屋根の葺き替えとなると
村人総出の助け合いの精神がなければできない。

こちらは重要文化財となっている和田家。

今もここで生活を営みながら、内部を一部公開しておられる。
屋根裏には多くの生活用品が展示されていた。

黒光りする木材の艶が、何百年もの歳月と暮らしの重みを物語る。
展示品は、今ではほとんど見られなくなったものばかりだ。



当たり前だが、藁や木、すべて自然が作った道具だ。
昔の人々が当たり前に使っていたこれら生活用品を見ると、
なぜか懐かしさと感動がこみあげた。
外に出ると、
日本の原風景といえる景色が広がっている。


心落ち着く一日となった。

2012年10月8日

大自然の秋


北アルプスに位置する人気の山岳観光スポット「室堂」に行ってきた。
10月初旬、京都ではまだ紅葉といってもピンとこないが、
標高2450mの室堂では今が見ごろだ。
3000m級の立山連峰を間近に見るダイナミックな景色に思わず息をのむ。

見ごろが連休と重なり、また天気も良かったため
多くの山岳ファンが訪れていた。

こちらは日本最高所に位置する駅「室堂ターミナル」

乗り物を使えばここまで歩かずに行けるため(ただしマイカーは禁止)、
気軽な散策者から本格的な登山者まで、
様々な楽しみ方をしている人とすれ違った。

途中、山小屋からの荷物の運び出しをしている何人かの人とすれ違う。

まるでシェルパのようだ。
険しい山岳地帯での荷物運びはやはり人力に頼らざるをえない。
観光者で賑わう一方で、
山の男たちの地道な仕事ぶりが目にとまる。
雄大かつ厳しい大自然を目の前にすると、
背筋をピンと伸ばし真摯に向き合う生き方の大切さを感じる。

2012年9月22日

My music collection no.2


ピアノ協奏曲の名曲といえば
ラフマニノフの2番と3番があげられる。
ロシア生まれのピアニストであった彼は
12歳の頃から作曲を始める。
大きな挫折の後に彼がつくり上げたのが
ピアノ協奏曲2番と3番だ。
2番の方が聴く機会が多いかもしれないが
同じロシア生まれのキーシンは
「2番以上に愛にあふれ繊細な技巧がちりばめられた名曲」
といっている。
巨匠ホロビッツもこの3番をこよなく愛した。
もの悲しい憂いをおびたメロディラインが心に残る、
キーシン20年前の名演だ。
ちなみに指揮者は小澤征爾である。

2012年9月12日

左官職人


先日新聞のコラムに
左官職人、挟土秀平(はさど しゅうへい)氏が取り上げられていた。
土壁を専門とし、塗壁の個展を開いたり詩集を出したりと
左官界に新風を吹き込んでいる異色の職人だ。
彼の本を読んだ人も多いだろう。
私と同じ世代。
83年技能五輪全国大会で優勝。
技へのこだわりもさることながら、
芸術性も追究し、その職人魂は見事だと思う。
記事では、現在の日本の「使い捨て」時代への
反抗と危機感が述べられていた。
話は変わるが、
我が社「石田工務店」も
私の祖父が戦前におこした左官業がはじまりだ。
当時は塗壁の需要が多く、
職人が技を競い合っていたという話を聞く。
時は移り、工期がかかる塗壁は次第に減っていった。
当然職人も減っていく。
挟土氏は述べている。
「経済性ばかりに目を向け、職人を見捨てると
やがて本物が廃れていく。
せめて本物の技を見る目は養わなければならない。」
父の代で工務店となって、現在、
多くの職人さんの協力で住宅がつくりあげられている。
その技に敬意を払い、
同時に自分自身も厳しい目を持ち続け、
一丸となってものづくりを極めていきたいと思う。

2012年9月5日

My music collection no.1


猛暑が続いたこの夏、
京都は昼も夜も暑かった。
だが、その暑い夏も過ぎ行く頃になると
淋しく想うのはなんとも不思議なものだ。
私は音楽を聴くことが好きなのだが
ジャンルは問わない。
主に聴くのはクラシックだが、
夏に似合う音楽といえば「レゲエ」かもしれない。
今夏よく聴いたのが
ボブ・マーリィーの『レジェンド』だ。
エリック・クラプトンが歌ったことでも有名な
「アイ ショット ザ シュリフ ( I SHOT THE SHERIFF )」
ボーカルフレーズが心地よい。
マーリィーを聴いて過ぎ去る夏に想いを馳せるのもなかなかいい。
数々あるいろんなジャンルの名曲。
その中から私がよく聴いている作品を
今後も時々紹介させていただこうと思う。

2012年8月29日

京町家


「京都らしさ」を満喫できる京町家が依然人気だ。
現在京都市内には4万戸以上の町家があるそうだが、
京都市も耐震改修の助成等で町家の商品価値を高め、
流通促進を支援している。
最近は町家を店舗として利用する例も多く見られる。
だが、伝統的な京町家はもともと職住一体型の住居で
商人の暮らしと知恵から生まれたものだ。
そこでの暮らしがあって初めて伝統的な町家の良さが伝わる。
先日、市内下京区にある
伝統的な京町家「秦家住宅」におじゃました。

築後140余年を経過し、
京都市登録有形文化財となっている。

夏の祇園祭の山鉾で「太子山」を担ぐ、その名も太子山町に位置し、
元禄時代から続く薬屋だそうで、「太子竒應丸」の看板が今も残る。

驚くべきことに、今もなお、
秦家の方々がこの町家で昔ながらの暮らしを営んでおられる。
住人が入れ替わらずに、初代からずっと受け継がれ守り続けられている町家は
意外と少ないそうだ。
夏のしつらえが見た目に涼しく、
また実際京都の真ん中に位置しながら
風が良く通り心地よい。


今回、職業柄よく持ち歩くサーモセンサーで
室内と中庭の表面温度を計らせていただいた。
室内(客間)床33度。ちなみに外気温は35度。

中庭29度。

中庭や土間が暑くならないことで風が心地良く感じる。
住人の秦めぐみさんは、京町家での暮らしについて、
やはり夏は2階が非常に暑いことや、
冬の底冷えの大変さを述べておられた。
だが、天気や時間帯によって変わる風向きを感じたり
季節によって変わる陽射の色、肌に感じる建具の感触など、
その暮らしぶりは感性豊かだ。
またそこで育まれた人間的な品性も伝わってきて感心した。
もちろん、秦家住宅のように敷地の広い京町家はある種特別だ。
現在の住宅市場で一般的とはいえない。
私が提案したいのは、
形だけを取り入れて安易に「京都らしさ」を獲得するのではなく、
感性は豊かに、現代の生活にあわせた健康を育む住まいづくりだ。
「京都を楽しむ住まいづくり」
これからも追究していきたい。

2012年8月26日

浄瑠璃寺


夏休み中、京都市内の寺社仏閣は観光客でにぎわう。
だが、少し足をのばし京都市郊外へ行くと
価値ある名所でも閑散としてゆっくり見学できる。
休み中、市内から抜け木津川市の加茂町、
浄瑠璃寺に行ってきた。
九体阿弥陀如来像(国宝)で有名な真言律宗の寺だ。

(この写真は「拝観のしおり」より抜粋)
のどかな風景がひろがる場所にあり、
寺も、秋の草花「萩」が似合うわびたたたずまいだ。

文字通り、都会の喧騒を忘れる空間だった。
「浄瑠璃」世界とは、
澄みきった清寂と清浄の理想の世界。
中に入ると池がひろがり、
その向こうに三重塔(国宝)が見える。

今夏立て続けにおきた集中豪雨のためか
土のうが積んであるのが少々痛々しい。
池をはさんで対面に鎮座する九体阿弥陀堂(御堂も国宝)

拝観者はほとんどおらず、ほぼ貸切状態。
九体の阿弥陀如来ともじっくり対面できた。
こののどかさがいい。

御堂を出ると
緑に浮き出た朱色の塔が陽の光に輝いており、

旅先に持ち歩いているスケッチブックに
思わず描きとめた。

今年の夏の思い出がまた一つ増えた。

2012年8月19日

美味探究 part17 -涼感 編-


今年の夏たくさんいただいた
徳島のすだち。

それと私が所属する経営研究会の勉強会で
今年7月に訪れた長野県、伊那食品工業(株)の
寒天。

この二つがこの夏、大活躍した。
すだちはさっぱりとした風味付けにあらゆる料理に重宝し、
寒天は簡単にデザート等ができてありがたい。
さらに同時に使うと、暑い日にぴったりの一品ができる。
その一つが「ジュレ」だ。
寒天をゆるく固め、「だし」と「すだち」で味付けしたジュレにすると、
たいていの冷製料理にあう。
ジュレの作り方は簡単。
広めの鍋(かきまぜやすい)に多めに水をはり
沸騰しない火加減で粉末寒天を入れる。

グラニュー糖を少し足し、ゆっくりかきまぜて溶かす。

火を止め、冷ましておくと固まるので
必要な分だけ別の皿に取り分ける。

和風の冷製料理にあわせる時はこれに
「だし」と「すだち」で味付け。

これで準備完了だ。
今回は「焼きなす」に合わせた一品をご紹介しよう。
焼きなすは
なすをグリルで焼くだけだ。
こんがり焼けたら

熱いうちに皮をむく

これを食べやすい大きさに切って完了。
あとは先ほどのジュレを合わせる。

焼きなす、しょうが、わけぎを先に盛り、
ジュレをトッピング。
器ごと冷蔵庫で冷やすとさらに美味である。

2012年8月16日

新しき土


今月の新聞に、
「世界の映画監督358人が投票で決める最も優れた映画に
小津安二郎監督の『東京物語』(1953年)が選ばれた」
という記事があった。

小津安二郎監督作品は私も好きで、
中でも『東京物語』は数回観ている。
この作品で、
「上品で健気な」イメージを決定づけた伝説的女優が、
原節子だ。
彼女のデビュー間もない(当時16歳)の主演映画、
『新しき土』(1937年)が
75年ぶりに全国でリバイバル上映されているという。

パンフレットを見ると、
この映画は、日本とドイツの合作映画で、
日本側の監督は伊丹万作(伊丹十三の父)、
ドイツ側は巨匠、アーノルド・ファンク。
また、
ヒロイン原節子の父に国際スター、早川雪州
スタッフに
日本初の特撮技術で若き日の円谷英二
音楽は山田耕作
挿入歌の作詞に北原白秋と西條八十
日本を代表するスタッフが集結して作られている。
この夏京都でも上映していることを知り、
興味を持ち観に行った。
主役、原節子の、物悲しい
寂しさを感じさせるまなざしが印象的だった。
だが、率直な感想としては
作品の内容よりも、
当時の日本とドイツの軍事的接近による製作意図を
色濃く感じた。
日本人と日本国の紹介映画というべきか。
ドイツ人のためと思われる日本の美しい風景のオンパレードだった。
実際、後で調べてみると、
ヒトラー自ら検閲してこの映画のドイツ公開を許可したという。
生々しい戦前の時代背景がおのずと伝わってくる映画だ。
二度と繰り返してはならない時代がつくりあげられていく
というやるせなさを、この映画を通して感じた。
奇しくも昨日は、67回目の「終戦の日」。
この映画が今、公開されている意味を
深くとらえていきたい。

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