2022年6月21日

ウクライナの芸術家 アレクサンドラ.フェドルクとのコラボレーション作品

希望の光 平和への祈り

自由の女神は平和の象徴の
   オリーブの輪を持つ
上のオレンジは未来に
   向けての希望の世界
下のブルーはスラブの神話
 中央の黒は
    独裁者による抑圧

大学の時からの40年をこえる友人松原昭俊君の作品展を見に清水寺成就院に行ってきました。高名な月の庭があるところです。

今回の中心作品は
ウクライナの芸術家
アレクサンドラ.フェドルクとのコラボレーション作品です。

3年前にインターネットで
知り合い、ロシアのウクライナ制圧に対してお互いが
できることを考えたとのこと。

戦地から遠く離れた日本からはできることは限られているかもしれませんが
私たち一人ひとりが強い
平和への祈りを持ち続けることが戦争の1日でもはやい終結につながることを信じてやみません。

THE BRIDGE  
日本人が世界の架け橋に
なりできることは何んのか

2022年5月26日

京都市北区 今の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」に登場する義経・牛若丸生誕の石碑

紫竹牛若町
牛若丸 源義経の生誕地が京都市北区にあります。
その当時は京の都の郊外の竹やぶが多い田舎村 今の紫竹牛若町。
北山通り紫竹栗栖町交差点から歩いて1分程の所です。

畑の隅に生誕の石碑が建っています。

若くして母と別れ鞍馬山で修行し、兄頼朝と組み宿敵平家を先頭になって滅ぼしました。
今の大河ドラマ 鎌倉殿の十三人では非道で真っ直ぐな義経として描かれています。
ドラマでは平家を滅ぼす為だけに生まれてきた男と言われていますが、どんな人生だったかは、本人以外知る由もありません。

どんな最後を脚本家の三谷幸喜が描くのか、楽しみです。

PS 左京区蹴上も義経ゆかりの地名です。蹴り上げれた水溜りの水で衣を汚され
怒った義経がバッサリ斬り殺したと言われています。

2022年4月25日

藤の花が満開です

今朝の風景。

  

千本寺之内 現場近くの
藤の花が満開です。

強い甘い匂いに誘われて
むしがいっぱい集まってきます。  

春ですね。

2022年3月31日

モデルハウスのキッチンで料理を作り、社内交流会をしました。

モデルハウスで少人数のスタッフ交流会をしました。


前菜は苺入りのサラダ。色どりが鮮やかで、苺はスタッフのお子さんに喜ばれ、ブロッコリーの湯で具合はいつもながら好評でした。
手作りドレッシングをかけました。


ローストポークをつくりました。
80℃の低温でじっくりと火を入れました。


魚のソテーには白ワインを、ローストポークには赤ワインを。
バゲットも一緒に。

マザーハウス石田工務店で設計したキッチンはとっても使いやすく調理がはかどります。

2022年2月14日

北野天満宮へ早咲きの梅を見に行ってきました。

北野天満宮へ
早咲きの梅を見に行ってきました。

咲き具合は2分程度でした。


コロナ対策で牛の前の清めの水は工夫がなされています。

豊臣秀吉がつくらせた御土居の横に梅園があります。

天気も良くゆっくり8.000歩いい気分転換になりました。

今にも咲きそうな盆栽の梅を2鉢買って帰りました。

2022年2月5日

家庭の味  おいしいの中にあるもの 家庭でつくる一番おいしい食事づくりをサポートするのがマザーハウス

家庭の味 
 おいしいの中にあるもの

今日の朝一番の作業は
コーヒーの豆挽き
ペーパーフィルター出しの
ために、コスタリカブレンドを粉にします。

出来上がったコーヒーを一口飲むと、優しいまろやかなコクと香り。上々のできあがりでした。
本日のスタッフの口に合うと思い、朝礼後にサーブして飲んでもらいました。
コーヒーも一口に言って好き嫌いがあり、好きでも好みもさまざま、体調によってもおいしいと思える味が変わります。

こんなことを考えていると
ある戦国武将に関するエピソードを思い出しました。

 石田三成の三献の茶
鷹狩りをした豊臣秀吉は喉がかわき、三成が小僧をしている寺に立ち寄りました。
誰か茶を点ててくれないかという願いに私の先祖である三成は、大きな茶碗に
7、8分目のぬるい茶を点てて秀吉に渡しました。

秀吉はうまいとごくごく飲み、もう一杯所望しました。
二杯目に三成は普段通りのお茶を点て渡し、これを飲んだ秀吉は三杯目にどんなお茶がでてくるかと思い、もう一杯いただくことにしたのです。
その茶は小さな茶碗に少し熱く点てたお茶でした。

この茶を飲んだ秀吉は、住職に三成を譲り受けられないかと頼んだというお話です。

私の祖先が石田三成にあたるかどうかは諸説あります。

こんな話が頭をよぎりました。

このような事ができる飲食店はまずないでしょう。
できるとしても、とっても高い店に限れるのではないかと思います。
飲食店は一定の味の確保を求めているため、個別対応しにくい一面がある。

このことが普通にできるのが家庭です。
よく家で食べるご飯が一番おいしいと言われるのは、このように根底に気づかいという愛があるのではないかと私は思うのです。

家庭でつくる一番おいしい食事づくりをサポートするのがマザーハウスであり、
私に求められている使命であると思っています。

住まいに広がる愛があふれるために

2022年1月25日

建築家隈研吾によって再生された新風館の1階に出店したオードパルファムの店 ル ラボ 京都

香りを聞く
こんにちは
建築家隈研吾によって再生された新風館の1階に出店したオードパルファムの店
ル ラボ 京都

この店の特徴は注文をきいてから手作業で香りをつくること。
ずっと気になっていたので行ってきました。
シックでありながら整然とした店内。

専門のブレンダーが一人ひとりオーダーを確認していきます。

私が選んだのは、スモーキーでウッディな香りの
サンタル33。


なんとも落ち着く香りです。

この香り 
マザーハウス 紫野 に
モデルハウスに常備します。

このかぐわしい香り、
聞きに来てください。
毎月第1、第3日曜日
マザーハウスは開いてます。

2022年1月8日

テスコムの低温調理コンベクションオーブンを初めて使いました。

暮らし家守りをサポートするマザーハウス石田工務店、社長の石田です。

新しい調理器具を買いました。

テスコムの低温調理コンベクションオーブンを初めて使いました。
普通のトースターのようですが、35度から調理できます。

初めての調理は国産豚肩ロースのかたまり肉。
塩お湯洗いし、水をふき取り塩コショウ。
これを90度設定で3時間半焼いていきます。

焼き終わり、内部温度を確認、68度なので完成です。

肉汁の出も縮みも少ない。
充分冷ました後、切り分けます。


おいしそうな色が現れます。
食べてみるとまるで上品なハムのよう。出しとポン酢で作った甘からのタレをかけていただきました。

いろんなものが作れそうなので、またアップしますね。

2021年12月29日

年末のご挨拶

 新しい未来の始まりです。
新型コロナのむこうに新しい光が見えてきました。
蓄えてきた力を外に発揮する刻がやってきました。
 苦難は幸福の門とも言われます。
これを超えたところに全く新しい世界が広がっています。

 この二年間多くの皆様のキッチンダイニングづくりに取り組まさせていただきました。
食は私が考えるに、人と人の心が通い合うもっとも大切な営みです。
その皆様の幸せづくりに令和四年度はさらにさらに関わってまいります。
 ただ残念ながら、この二年間の行事はほぼストップいたしました。
令和四年は春から住まいの見学会を開催いたします。
本当の暮らしを見ていただきたいと思います。
これからも住まいを守り暮らしの中に幸せを見つけられる住まいを一つひとつ
つくってまいります。
 もう少しの辛抱は必要かもしれませんが、皆様とふつうにお会いできる日はもうすぐそこです。

光りあふれる日々をいっしょにすごしてまいりましょう。

                     令和三年十二月
                       株式会社石田工務店
                       代表取締役 石田泰久

2021年12月16日

代表インタビューにお答えしました。会社の沿革や私の経歴をお分かりいただけると思います。

株式会社テクニカ様の経営者インタビューに載せていただきましたのでご紹介いたします。

これまでの会社の沿革や私の経歴などをお分かりいただけると思います。

インタビュー

以下引用

美しい生き様
これを仕事で表現出来ると
最高の幸せです

Vol .代表インタビュー

石田社長は、どのような経緯で家業に入られたのでしょうか?

私のお祖父さんが、左官業をやっていたんです。その後、私の父の代では、左官業が工務店になり 、それと併せて不動産業もやるようになりました。
その頃は、戦後 で建売住宅がメチャクチャ売れた時代だったそうです。そんな父の元に私が産まれた訳ですが、幼い頃からずっと「仕事は継がなくていい 。」と言われていたんですよ。しかしながら、父も口ではそう言うものの家の中には継がないといけないような空気はずっと漂っていました。
そんな中で育った私は、建築系の大学に進んだんです。卒業後は、設計事務所に就職して設計士としての修業をはじめました。
そして、その設計事務所で3年程経った頃、父 から「そろそろ帰ってこないか?」と連絡があったんです。その連絡をキッカケに家業に入りました。


ありがとうございます。お父様の代での、工務店+不動産業とはまた現在では色が違うように思いますが、家業に戻られてからどのように現在のスタイルになったのですか?

戻って来た当時は、分譲地の建売りがメインでした。他にも、木造や鉄骨、店舗付き住宅の設計施工もやっていました。
しかし、時代の流れの中で鉄骨や分譲地を縮小していったんです。というのも、私がお客様の顔を見ながら話をして、お客様と一緒になって家を作り上げたかったからなんです。
そして、そう思いだした30年程前に、当時では画期的だった「高断熱高気密」の家と出会ったんです。かねてからの私の思いにこんな出会いが重なったので注文住宅に力を入れるようになっていきました 。
そして、更に10年程前からは、注文住宅だけでなく、リノベーションもスタートさせました。

それから、高断熱高気密の家というものが知れ渡ってきたタイミングで、さらに特徴を打ち出そうと無垢材を使うようになりました。
こんな取り組みを続けている中で、父から少しづつ事業や会社の事を任せられるようになり、ごく自然な流れの中で代表を継ぎました。


特徴や他との差別化というものはとても難しいと思うのですが、とてもうまく実行されたんですね。すごいと思います。現在、石田社長が経営者として大切にされている思いとはどのような思いでしょうか

住まいは新築にしてもリノベーションにしても、とても大きな金額をお預かりすることになります。
ですから、お客様からは信用と信頼をして頂かなければなりません。
その為には、徹底的にお客様の思いや願いをくみ取り、それを私が消化して目で見えるカタチで表現して提案する。
そして、それを元に打ち合わせをしてさらにお客様の思いや願いをくみ取り、消化して表現して提案する。
こうする過程で徐々に信用と信頼をして頂けるようになると感じています。
また、これを繰り返すことで 120%満足して頂ける家が完成すると信じています。


ありがとうございます。お客様の望む120%の家を完成させるということだけでも十分貢献だと思うのですが、その他に石田社長が考えられているお客様への貢献とはどういう事がありますか?

約30年前から弊社 が建てた家については現在でも無償で定期点検を実施させて頂いています。
この取り組みを始めてもう30年位になりますね。
この取り組みの事を私は「家守り」なんて言っています。点検に伺って、メンテナンスの必要があるところについてお伝えしています。
こういう活動を通じ、家のメンテナンスをすることで末永く快適に住み続けてもらいたいと考えています。これが、私のお客様への貢献だと考えています。


30年も前から定期点検ですか!今でこそ定期点検というのはよく聞きますが、そんなに昔からされていたんですね。石田社長が家業に戻ってこられて一番つらかった時期はどんなときでしたか?

家業に戻ってしばらくした頃の事です。当時私は、専務という役職で、父からもある程度仕事を任されていました。それ故、業績を上げることで頭がいっぱいでした。
当時は、建売りがメイン事業でしたので、土地を買って家を建てても土地の相場が下がって行くので、売れなければ ドンドン値段を下げていかなければいけないわけです。
そうなると、売れても利益はマイナスなんてことが往々にしてあるんです。
このままではいけないということで、注文住宅へシフトしてく訳ですが、当時始めた高断熱高気密の注文住宅と言っても世間の認知度がありませんから、すぐに売れることなんてありませ
んでした。
だからと言って私からアクションを起こさないと認知度なんて上がりませんから、実際にモデルハウスを建てたりしました。
このように建売りの販売から注文住宅へシフトするこの過渡期が一番つらかったです。


ありがとうございます。しかし、そんな困難もクリアされたのはすごいモチベーションですね。その源って何なんですか?それと、最後に今後の事についてもお聞かせください。

会社だけの世界で生きているとどうしても視野が狭くなってしまいます。
ですから私は、可能な限り様々な会や勉強会に参加して、様々な業界の方々と関わるようにしています。
そうすることで、様々な刺激を受けて、今よりもより良い提案をお客様にさせて頂け様に、日々勉強して行動して検証する。
これを繰り返しています。今後についてですが、「キッチン・ダイニングの設計では京都で一番」。
皆様にそう言って頂けるようになりたいですね。自然素材を使って、お客様の笑顔あふれるダイニングキッチンやリビングづくりを突き詰めていきたいと考えています。
また、私は「家庭調理 研究家」なんていう肩書も持っていますので、「料理 × 建築設計」。こんな視点でも活動をしていこうと考えています。

株式会社 石田工務店
代表取締役 石田泰久

Webからお問い合わせ 0120-296-481