聴竹居
昨年になるが、
テレビ朝日系列の人気長寿番組『建もの探訪』でお馴染みの
俳優 渡辺篤史氏に、ある会合のゲストスピーカーとして
講演していただいたことがある。
数々の住宅を訪問している渡辺氏が講演の中で、
「関西にある『聴竹居』という住宅には本当に感動した」と
絶賛されていた。
実はそれよりさかのぼること3年前(2008年)、
日経新聞の日曜版「昭和の住宅建築」特集で、
『聴竹居』が大きくクローズアップされており、
興味深かった私はその記事を切り抜いてスクラップしていた。
当時は一般公開がまだ限定的で、見学の機会をのがしていたが、
環境共生住宅の原点というその内容に魅かれ、
その後『聴竹居実測図集』を購入し、興味深く読み込んだ。
最近は重要文化財の指定を目指す有志の方たちのお力で、
申込制とはいえ見学しやすくなっている。
そこで本日、石田工務店社員研修の一環として
社員全員で内部見学をさせていただいた。
京都市郊外、天王山のふもと大山崎町にある『聴竹居』 外観
住宅はその土地の気候や風土から生まれるものだという
明快な哲学を貫き、
合理性とデザイン性を徹底的に追究した住宅。
昭和初期に活躍した建築家、藤井厚二氏が
今から80年以上前に建て実際に家族と暮らしていた自邸だ。
藤井氏は、東京帝大卒業後、竹中工務店勤務を経て
京都帝国大教授に転じている。
経済的に恵まれ、何ごとにも「凝り性」の人だったという。
住み込みで雇っていた大工と、細部にいたるまで
デザインと暮らしやすさを追究した細かい仕事ぶりが見てとれた。
また、建築だけでなく、家具や照明などもデザインしていて、
ライフスタイル全体をデザインするある種「芸術家」としての
妥協のなさも伝わってきた。見ごたえのある住宅だ。
藤井氏の建築家としての作品が、
実は京都市内にも複数件現存していることを知り、
以前順番に訪れてみたことがある。
上京区染殿町の家
左京区吉田神楽岡町の家
左京区北白川伊織町の家
窓まわりの繊細なデザインが特徴的であり、
木々の緑と調和していた。
彼はガンのため49才という若さで亡くなり、
現在、京都嵯峨野の二尊院に眠っている。
その墓標さえも彼自身が病床でデザインしたのだという。
この「美」を追究する気持ちをつらぬいた
藤井厚二氏の思いが今も京都に生き続けている。