2011年1月31日

会社の近くに


会社から歩いて約5分のところに、大徳寺山門「金毛閣」がある。
言わずと知れた、千利休の切腹のきっかけとなったあの門だ。
私が小学生の時、クラス全員が先生の引率でここに来て、
朱色に塗られたこの大きな門の絵を描いたことがある。
39年ほど前のことだ。
それよりさかのぼること約380年、1591年の話・・・。
(以下、山本兼一著『利休にたずねよ』<直木賞受賞> より抜粋)
 
  「何か差し障りでもございましょうか。」宗陳は不審げにたずねた。 
                         (宗陳は大徳寺の高僧です)
  「さよう。おおいに障りがござる。」三成は振り返って宗陳を見すえた。
                         (三成、つまり石田三成です)
  「何がお気に召しませぬ。」
  「何がどころではない。なぜこのような木像をここに置いたのか。
  この寺では釈迦牟尼の代わりに利休をありがたい本尊として崇めておるのか。」 
  
  宗陳は首を振った。
  「帝も関白殿下もお通りになる山門でござる。その上に、茶頭風情が
  草履を履いて立ち、 股の下をくぐらせるとは。不敬も甚だしい。
  寄進の功を讃えるなら棟礼ですむこと。 木造を飾るならなぜ控えて隅に置かぬ。」
この事件は知恵者、石田三成が仕組んだ企みともいわれてる。
正直、私の姓も「石田」だからあまり悪くは言いたくない・・・。
数年前の大河ドラマでは小栗旬がカッコ良く演じていた。
実は同じ大徳寺の境内に、石田三成の墓「三玄院」があるのをご存知だろうか。

また、豊臣秀吉が織田信長の葬をとりおこなった「総見院」も同じ境内に。

420年前にこの近くを千利休や石田三成、そして豊臣秀吉が歩いていたかと思うと
なんだかゾクゾクしてくる。