2017年9月25日

大空と大地の中で

私は音楽好きである。
日本もの、洋楽、クラシック、ジャズ・・・
何の脈絡もなくごちゃまぜに聴いている。
ただ、なぜか日本ものの中では
北海道出身のアーティストの曲を
多く聴いてきた気がする。
松山千春、中島みゆきは今でもよく自宅でかけている。
なぜなんだろう。
私はあの大きな大地を憧れているのか。
北海道の人に素直さを感じるのだろうか。
その曲の裏に少しのもの悲しさも感じてしまう。
昔に思いを寄せていると
千春とみゆきがお互いに思いを寄せていたことも
思い出す。(※私見です)

ご存知の方も多いと思うが
今年8月20日、松山千春のしたある出来事が
ニュースになった。
ご存知ない方も当然いると思うので
私が知っている情報をここに書いておく。

『8月20日、新千歳空港は保安検査場が大混雑。
保安検査が終わらずに搭乗できない乗客が多くなり
出発時間が遅れる事態が発生してしまいました。
11時55分発伊丹行き全日空機も定刻を過ぎても動かないまま。
先に搭乗を済ませた乗客はイライラがつのります。
1時間程経過した機内で、突然のアナウンス。
「千歳発伊丹行きにご搭乗の皆さん、松山千春です。
もうシートベルトをされてから1時間以上も経つ。
いらだつでしょう。むかつくでしょう。しかし
安全に飛んでくれることを自分たちは信じていますし、
皆苦労していますから待ちましょう。“旅は道連れ”ですから、
一緒に旅行を終えましょう」と言って自分の持ち歌である
<大空と大地の中で>を、♪果てしない大地~♪と歌いはじめました。
「皆さんのご旅行が、これからの人生が、
素晴らしいことをお祈りします。もう少しお待ちください。
ありがとうございました。」と締めくくりました。
この便に乗り合わせた松山千春さんの機転で、
機内はなごみ、拍手喝采が巻き起こったそうです。』

彼は1955年12月16日、北海道足寄町で生まれる。
フォークソングとの出会いは、小学校5年生。
岡林信康が足寄で弾き語りコンサートを開き、
聴きに行ったことが始まりだったという。
足寄高校時代は、成績優秀、バスケットボール部で活躍したが
進学は断念。父親の仕事を手伝いながら、
フォーク音楽祭に応募する。
そしてすぐに有名になる。

当時、テレビ出演を拒否していたが、
「あなたにはたくさん届いた番組出演のリクエスト葉書に
何か答えなければならないはず」との言葉に感銘を受け、
ザ・ベストテンに出演。
当時はこのことが大変話題になった。
ほどなくして、
右寄りで少しこわもてな感じを
私は持つようになった。
髪を剃ったことも影響していたのかもしれない。

実はもう一つ、最近になって
彼について知ったことがある。
北海道出身、鈴木宗男議員との関係だ。
足寄町出身の鈴木宗男氏とは足寄高校の先輩後輩の仲。
鈴木氏が初当選する1983年総選挙から
選挙応援をしているという。
鈴木氏が代表を務める「新党大地」の名付け親でもあるという。
2011年、鈴木氏が在職25年以上の永年在職表彰で
製作された鈴木氏の肖像画の中に
異例となる「新党大地 命名松山千春」と記され
国会内に掲示されたそうである。
このことを知ると、
郷土を愛する一途さに心が動く。

20年ほど前、
彼の歌声を聴きに
大阪のコンサート会場に行った。
張り詰めた空気の中で彼は歌う。
感激した。

今年8月20日のエピソードを聞いて、
また生で曲を聴きたいなぁと思う。
たくさんあるが
「銀の雨」「雪化粧」は聴いてみたい。

彼の歌はすごく力強くて、そして優しい。

(写真はすべて「松山千春アルバム(レコード)/君のために作った歌」より

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